2016年04月14日

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 今週の「牧師ブログ」を見てくれた友達の牧師から、メールが届いた。
  「『現実逃避』じゃないよ。イエス様だって、
   『野の花を見なさい』って、言ってたでしょ」。


 メールがありがたかった。私の気が付かないところで、私のことを見守っていてくれる人がいる。そして御言葉の恵みの中に、私を立ち帰らせてくれる人がいる。
 仕事以外のことをすると、罪悪感につきまとわれるから、とにかくずっと牧師館の書斎にひきこもってきた。でも耐えきれなくなって書斎を離れると、「現実逃避」と言い訳していた。彼がメールで言っていた聖書個所を読んでみた。
   「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
    働きもせず、紡ぎもしない。しかし言っておく。
    栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも
    着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に
    投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って
    くださる。ましてあなたがたには尚更のことではないか」
      (マタイ6:28−30)
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 なんの力も持たない野の花だって、全能の神様の保護のもとにある。まして人は野の花以上に、神様から愛され、全能の力で守られている。
 神様の全能で愛され、守られていることを、信じて生きれば、それだけで良かったんだ。一人で先走って思い悩むことはなかった。イエス様が『空の鳥を見ろ、野の花を見ろ』と言ったのは、「風流に生きろ」ということではなく「私たちを養ってくださる神様の全能に信頼しきって生きろ」ということだった。
 彼から届いたメールのおかげで、イエス様の言葉に「アーメン」と言えた。感謝だ。
    「あなたがたの天の父は、これらのものが皆、
     あなたがたに必要なことはご存知である。
     何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。
     そうすれば、これらのものは皆、加えて与え
     られる。だから明日のことまで思い悩むな」
       (マタイ6:32−34)
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posted by 牧師 at 14:39| 日記